設計後 50年経過した亀谷邸を訪問。
VIsiting for Kametani House, completed in 1971.
ここ数年で他界した両親(佐々木幹夫+順子)が約50年前に設計した住宅を観に来ないかと「建築文化」(彰国社) 元編集長の亀谷さんにお誘い頂いてご自邸にお伺いさせて頂きました。佐々木幹夫は1960年から2年間、ミース・ファン・デル・ローエが建築学部を創設したIIT(創設当時は、アーマー工科大と呼ばれる。)で修士課程に在籍して、ミースファンデルローエとその弟子マイロン・ゴールドスミスに師事することが出来ました。修士設計は、高層建築(ハイライズ)だったのですが、帰国してからもしばらくは、ミース・IIT流の鉄骨造の建築を作り続けたようです。私自身もIITに大学・学部時代5年間在籍(アメリカでは、建築学位は5年制)したので、鉄骨露出の建築は珍しくも感じていませんでしたが、東京の杉並の住宅がひしめいていてるところで見ると感慨深いものがありました。4辺のH鋼の組み合わせも懐かしい思いも感じて来ました。ちなみに全溶接でした。鉄骨を調査して頂いて50年経過しても基本的に劣化していないということでした。一部鉄骨の補修も必要だが、今後も1階部分は増築していくが、建物は取り壊しはせず、使い続けていただけるということでした。私も知らない様な逸話もお伺い出来て、とても嬉しかったです。Black and White の写真は1971年撮影 岡本氏
I was invited by Mr. Kametani, the former editor-in-chief of Kenchiku Bunka, to come and see their house that my parents (Mikio Sasaki and Junko Sasaki) designed 50 years ago. Mikio Sasaki was able to study under Mies van der Rohe and his disciple Myron Goldsmith for two years from 1960 in the master's program at IIT, where Mies van der Rohe a sort of founded the architecture department. His master's design was a high-rise, but he continued to build Mies-style steel structures for a while after he returned to Japan. I also spent five years at IIT, so I didn't find the bare steel structure unusual but seeing it in Suginami, Tokyo, where there are many houses, I was deeply moved. I also felt nostalgic. The steel frame was surveyed and found to be in good condition even after 50 years, which means that it will continue to be used.
典型的な、ミース・IIT系の鉄骨柱の納まり。
オーニングは、最近取り付けられた様です。
給湯器も当時は、屋内型だったが、屋外型に変更して来ているということでした。
1973年9月号で、亀谷邸、岡野邸、西村邸が掲載。西村邸は、佐々木龍一の祖父母の家(現在は、叔父の西村邸)
ここから1971年当時の竣工写真。撮影は岡村氏。雨戸をガラスと面で構成するために使用したらしい。
鉄骨としては、9M飛んでいるということでした。
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